天安門・故宮を見る

2007年03月08日

Posted by トントン at 21:44 │Comments( 0 )
早朝、天安門に繰り出す。天安門は中国の歴史を刻んだ場所だ。
天安門に入る前に左側の中山堂に入る。ここには孫文が祭られていて、S氏の解説では琉球の革命児徳田球一が孫文と親しい間柄であったので、ここに徳球の墓があるはずであるとの推理から墓を探すことになったが、時間切れで見つからず。

中山堂内の孫文の銅像


天安門は特に沖縄にとっては歴史上大きな足跡を刻んだ場所である。人民大会堂を右に見ながら右に回り前門(正陽門)にいたる。
この門はおそらく数百年前琉球からの使者達が目をキョロキョロさせながら、皇帝に会う希望と興奮に胸を躍らせながらくぐったに違いない。当時と同じ門をくぐるかと思うと小生も何となく胸が躍る。

正陽門内の額


天安門広場から左に見える人民大会堂


毛沢東のミイラが眠る人民英雄記念碑
ミイラを見てもショウナイので飛ばす。前門から。


広場は広い。観光客らしき人人々々・・、若い軍人が行進していたが、後でお互いに写真の取りッこをしていたのでお上りさんらしい。


これが天安門、中央に毛沢東の肖像が掲げてある。


いくつかの門をくぐり千門に至る。ここは太和殿の入口。


(故宮全体を紫禁城と呼ぶ)の中心の太和殿、皇帝が政務していたところ。
現在修復中で残念。中国人は昔から何でも大きなものが大好きな人種のようだ。とてつもなく広い。
故宮全体の部屋数は999室あるらしい。なぜ一つ足りないのか?天に対する配慮だそうです。
そういえば中国皇帝の龍の爪は5本だが、琉球王の龍の爪は4本。


修復前の太和殿、琉球の首里城はこの城を模したとも言われている。良く似ている。ウイキペディアから。
紫禁城の中心、太和殿
首里城の龍樋に良く似ている。




紫禁城はこんな城の集合体。周囲は長方形の城壁に囲まれている。








天安門の帰り道、見つけた食堂の看板。
右に溥儀の署名がある。満州国皇帝溥儀の書は広く出回っていて、看板に多く用いられたようだ。


ホテル近くの食堂の看板、「食為先」飯を食うのが先だと読める。今でも中国人の挨拶は「飯食ったか?」である。ここの水餃子、うまかった。





大城清利 沖縄まちや/ http://www.ukonyu.co.jp 












 
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