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究極のダイエット法

2007年03月31日

Posted by トントン at 10:26 Comments( 0 )
先週から風邪気味だ。ホメオパシーのレメディーを飲んでも良くならない。はじめアコナイト、途中からGels.を取るが鼻水がたらたら止まる様子がない。Bry.を取ってみたが変わらない。
27日、社外の会議に出席する予定があったので、26日やむを得ず病院にいき風邪薬をもらう。
これはよく効いた。27日はガラガラ声ながら会議をこなし、鼻水も何とか収まり回復。
その後ホメオパシーのS先生に会う機会があり、その話をすると、電話すれば処方を出したのに、大城さんの処方が間違っていたんでしょうと言われた。そうかもしれない。ホメオパシーは同じ症状に数種類の違ったレメディーの処方があり難しい。
その難しさが、ホメオパシーが普及しない原因の一つでもある。

それはさて置き体重が減った。カゼ前59.5kgあったのが58.0kgにまで減った。
かなり寝汗が出たので燃焼したのかも知れない。
一般的に病気をし、熱が出ると体重が減る。もちろん、これは病的であるが、一方、ダイエットの角度から見れば、一つの方法論でもある。
カゼに関係するヴィルスは200程度あるらしい。
一つ一つ見ると体に各々特別な作用を起こしているわけだし、その中には熱だけを発生させる働きに係るヴィルスもあるはずである。
そのようなヴィルスを発見できれば、究極のダイエット法が開発できるかも知れない。
ヴィルスを接種し、1週間程度熱だけ出しておればやせる。そんなダイエット法があってもいい。


一方、カゼに効くレメディーを飲むと基本的にカゼの症状を起こさせる。これを好転反応と称しているが、好転反応の後で治るというのがホメオパシー理論である。
であれば、そのようなレメディーを飲めば前記ヴィルス同様発熱してやせることが可能である。
ホメオパシー理論でそんなレメディーが発明されるかもしれない。



大城清利 沖縄まちや/ http://www.ukonyu.co.jp






上海 ダンスに興じる人々

2007年03月15日

Posted by トントン at 12:45 Comments( 0 )
博物館で時間を潰すつもりであったが閉館となったので、急遽南京東路へ行くことにした。
上海人民政府脇の大通りを抜けて繁華街に出る。道路を横断するのがこれまた一苦労。
人人人・・・東京も人が多いが、そんなもんではない。肩を押し合い、ぶつかり合い、かき分けて進む。
どこからこんなに人が湧き出たかと思う。おまけに、小生は全財産をバッグに入れて首から提げている。バッグが挟まれて進めない。幸い目的地がないから流れるままに進む。
日本のユニクロの店を見た。しゃれたデパートの感じ。


街中で見た古い教会、現在は使用されていないようだ。




南京東路に入る。

歩道が人だかりである、なにやら数人の男達が楽器を弾く準備をしている。野外ステージが始まるようだ。

小生も野次馬の仲間に入る。

しばらくして演奏が始まるとどうだ!野次馬の中からペアが飛び出し社交ダンスを始めた。





お・お・と驚いているうち、10組くらいになった。中年から80歳くらいの人もいる。輪がどんどん広がる。

ペアを組まないで一人で踊っているのもいる。





中央の白い服のオッサンは輪に入らず、外で一人踊っている。





上海はしゃれた街だ、人々の服装も何となく垢抜けた感じ。

日本人が商売するには上海がいいかもしれない。所得も高いので値段をそれほど気にしなくてもいいのでは。



ダンスの輪を抜けて南京路歩行街に入る。入口に南京路歩行街と書かれた看板が掲げてある。日本の歩行者天国。





上海一の繁華街のようだ。日本にあるものは何でもあり。

人も多いし、店も繁盛しているようだ。

見物客を乗せた小さな電車も走っていた。

そういえば、日本名の店も大繁盛していた。前記のユニクロ、牛丼の吉野家、ハンバーガーの店、ピザパイの店、うどん屋もあった。押しなべて大繁盛、行列していた。

笑ったのは、日本風のレストランの前に中国娘が様にならない着こなしで、だらりと着物を着て立っていたのには恥ずかしくて、写真を取れなかった。















左下の入口に吉野家と見える。右下に客が並んでいる。





東路を東の端まで行くと行き止まり。堤防に上がると目の前に運河が広がる。対岸の夜景がキレイだ。黄浦江だ。

しばらく見とれていると、突然夜景が何かに隠れた。??と目を凝らすと、大きな船が目の前を通過していた。

夜景の一部。





帰り道、お土産の梅干の乾物を買いに店に入る。字が読めない。それらしき物を見つけて一袋買う。表示は24元とある。計算の時30元請求された。頭にきて表示を指差しながら24元と書いてあるだろうと、抗議したが相手もさる物、電卓を持ち出して譲らない。税金か何かがプラスされたのだろうとしぶしぶ払う。

ホテルで食べるため小さな柑橘の袋を買う。表示は7元。同じように15元と来た。旦那のほうが指であれこれ説明するが埒が明かない。痺れを切らした奥さんがこちらも電卓を持ち出して15元と打ち出した。1単位7元で2単位買ったようだ。

こちらの勘違いでした。



翌朝6時チェックアウト。浦東空港と書いた紙を運転手に見せて約1時間、浦東空港につく。

帰りの飛行機の出発が1時間ほど遅れた。が機内で何の説明もない。そんなことは当たり前なのか。

とか何とか、那覇空港に着陸。

中国の旅もやっと終わりました。

皆さん、では又。





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上海 人民広場と高層ビル群

2007年03月12日

Posted by トントン at 07:27 Comments( 0 )
北京から上海に飛ぶ。ここからは一人旅。S氏は北京の自宅へ帰った。

ホテルのチェックアウトから片言のイングリッシュとメモ用紙で事足りる。

上海は大きな街とは聞いていたが、虹橋空港から街中に入る道路わきの高層ビル群には驚かされる。外国の租界時代の古色蒼然たるビルの脇に超現代的な高層ビルの列が並ぶ。

高層ビルの多さでは東京を越えるのではないか。

やっと目的の人民広場前の上海国際飯店へチェックインする。

トラベル雑誌で調べた上海で見たいところが4箇所ある。

1.人民広場、 2.博物館、 3.南京東路、 4.南京東路先の夜景。



ホテルの目の前に人民広場がある。車と人が雑然と行きかっている。横断歩道を群集が渡ろうとするが、車が止まらない。多数が一団となってわたり始めるとやっと車が止まった。

中国では横断歩道を渡るのも命がけだ。



広場入口には多くの人々が集まっていた。5~10人が三々五々固まっている。小生も覗いてみた。手帳大の小さな紙に書いた文字を議題に意見交換しているようだ。井戸端会議のようでもあるし、議論をしているようでもある。

他方、大きな紙に書いた文字を掲げている人もいる。探し物か?こんな光景は以前日本の雑誌で見た記憶がある。中国の情報元は意外とこんなところかも知れん。



広場全体は静かなところです。向こう側に人々が集まっている。









左は上海美術館、広場内





人民大劇場、広場内





上海博物館、広場内。5時閉館、15分前で入れず。



左の博物館をぐるっと取り巻くビル群。

















とにかく大都会。





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故宮にサンゴ石があった。ひょっとして、琉球からの貢物か?

2007年03月11日

Posted by トントン at 21:36 Comments( 0 )
故宮でサンゴ石の盆栽を見つけた。

最後に大発見。故宮の終わりごろ、庭にサンゴ石を盆に入れて飾ってあるのを見つけた。いわゆるサンゴ石の盆栽だ。大きさ約60cm。他に変わった石の盆栽が4,5個。おそらく交易時代に他国から皇帝への貢物として運ばれたものと思われる。

当時、明への朝貢国でサンゴの出る国といえば琉球とベトナム。



沖縄に帰った後、博物館に問い合わせたが、当時の積荷には記録がないそうです。でもやっぱり調べる必要があるのでは。

奥のほうには別の石の盆栽がある。なにやら大事そう。




サンゴ石は合計2個







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天安門・故宮を見る

2007年03月08日

Posted by トントン at 21:44 Comments( 0 )
早朝、天安門に繰り出す。天安門は中国の歴史を刻んだ場所だ。
天安門に入る前に左側の中山堂に入る。ここには孫文が祭られていて、S氏の解説では琉球の革命児徳田球一が孫文と親しい間柄であったので、ここに徳球の墓があるはずであるとの推理から墓を探すことになったが、時間切れで見つからず。

中山堂内の孫文の銅像


天安門は特に沖縄にとっては歴史上大きな足跡を刻んだ場所である。人民大会堂を右に見ながら右に回り前門(正陽門)にいたる。
この門はおそらく数百年前琉球からの使者達が目をキョロキョロさせながら、皇帝に会う希望と興奮に胸を躍らせながらくぐったに違いない。当時と同じ門をくぐるかと思うと小生も何となく胸が躍る。

正陽門内の額


天安門広場から左に見える人民大会堂


毛沢東のミイラが眠る人民英雄記念碑
ミイラを見てもショウナイので飛ばす。前門から。


広場は広い。観光客らしき人人々々・・、若い軍人が行進していたが、後でお互いに写真の取りッこをしていたのでお上りさんらしい。


これが天安門、中央に毛沢東の肖像が掲げてある。


いくつかの門をくぐり千門に至る。ここは太和殿の入口。


(故宮全体を紫禁城と呼ぶ)の中心の太和殿、皇帝が政務していたところ。
現在修復中で残念。中国人は昔から何でも大きなものが大好きな人種のようだ。とてつもなく広い。
故宮全体の部屋数は999室あるらしい。なぜ一つ足りないのか?天に対する配慮だそうです。
そういえば中国皇帝の龍の爪は5本だが、琉球王の龍の爪は4本。


修復前の太和殿、琉球の首里城はこの城を模したとも言われている。良く似ている。ウイキペディアから。
紫禁城の中心、太和殿
首里城の龍樋に良く似ている。




紫禁城はこんな城の集合体。周囲は長方形の城壁に囲まれている。








天安門の帰り道、見つけた食堂の看板。
右に溥儀の署名がある。満州国皇帝溥儀の書は広く出回っていて、看板に多く用いられたようだ。


ホテル近くの食堂の看板、「食為先」飯を食うのが先だと読める。今でも中国人の挨拶は「飯食ったか?」である。ここの水餃子、うまかった。





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人体実験 ウコンエキスで癌が治った!

2007年03月08日

Posted by トントン at 15:43 Comments( 0 )
精華大学を見た後、夕食に北京ダックを食べに行く。
一流のレストランだそうでなかなかしゃれた雰囲気だ。入口を入るとチャイナドレスを着たすらりとした中国美人が5,6名客を迎えている。チビデブのS氏と小生はどう見ても田舎者。
コートを脱いで椅子の背もたれにかけると、ウエイトレスが赤い袋状のカバーをかけてくれた。
なるほど、汚れ防止と盗難防止にうってつけだ。後で知ったがよそのレストランでもやっていた。
そこえ気功師のR氏がやってきた。

左からS氏、大城、R氏、リンシャオ


田舎ものの大城はダックとは一羽を丸ごと焼いた料理と思っていたが、出たものは、皮がパリパリに焼かれて小片にカットされ、これを野菜に包んで食べる料理でなかなか乙な味がする。
途中、ウエイトレスから小奇麗な封書が渡された。このレストランの歴史を書いたもののようである。高級感を出すための演出だ。


次はこの旅行の第二の目的である人体実験の報告である。


R氏から驚くべき報告を聞いた。
当社製造販売の油抽出ウコン・ウコンエキスパワーと気功で癌が改善したというのである。

患者は50代の女性、Cさん(仮名)と言う。職業は大学の助教授。病名は子宮癌、結腸癌、肝臓癌。病状は末期、寝たきり。足がパンパンに腫れ歩行困難。
開腹手術をする予定であったが末期のため断念。

少し前口上を述べる。
R氏自身は1989年腎臓病を発見、1991年透析が必要となった。そこで気功をはじめたところ1994年腎臓病が全快、現在健康である。
一方S氏は、沖縄と中国を行き来している生活が続いていた。数年前持病の心臓病が悪化、沖縄でバルーンカテーテル治療を受け、一旦は回復したかに見えたが体調が良くない、医者からは今度中国に行ったら命の保証はないと通告されていた。
S氏は以前から当社ウコンを飲んでいた経緯もあって、徹底的に飲み始めたところ体調がよくなり、現在健康である。

S氏とR氏は共通の気功の大家を通じて以前から友人である。
患者のCさんはR氏が姉さんと呼ぶ間柄である。
こういう偶然が幸いした。

ここからは治療の報告です。
Cさんの癌を何とか治したいと思っていたR氏は気功をCさんに教えていた。

このことをS氏に話したところ、S氏は自分の経験からCさんにウコンを飲ませてみたらと勧めた。去年の中ごろの話。
Cさんは最初、胡散臭い健康食品だと飲んでいなかったらしい。
ところが抗癌剤を打つと体が痒くなるらしい。そこでウコンを飲むと痒みが消えたそうです。痒み止めにとS氏が持っていたウコンを飲んだところだんだん体調が良くなった。
これはウコンの効果だと確信したCさん現在もウコン療法を続けている。

そういえば、S氏はお土産だと言って、何度も当社からウコンエキスを数十個買って行きよった。

現在の治療方法
・IDをリンゲルで入れる。
・R氏が気功をCさんに教えて、Cさん本人が気功をする。
・中薬の特別な飲み方。・・牛の筋のスープ。
・当社ウコンエキスを多めに飲む。

治療の効果
・現在子宮癌、結腸癌は小さくなっている。
・肝臓癌は去年3.9cmあった大きさが2007/2/2 1.9cmにまで縮小、2007/3/10 さらに1.4cmにまで縮小している。
・パンパンに腫れていた足は普通になり、山登りもこなしている。
・現在の体調はいたって良好。
・結腸癌のため少々の出血は認められるものの、本人は肝臓が回復したので、そのうち結腸も良くなると確信しているようだ。
・同室の末期癌患者はCさんを除いて、全員死亡したそうです。

考察
1・ウコンエキスが抗癌剤の副作用を止めた。
1・副作用のなくなった抗癌剤が本来の効果を示した。

1・ウコンエキスは癌に効果があることは多くの動物実験で確認されている。ウコンの第一の効果は新生血管の生成を阻害する。第二はウコン細胞のアポトーシスを誘発する。
1・気功は患者本人がすることによって、自己治癒力を高める。

などである。

1・それぞれの相乗効果がCさんにマッチした結果でしょう。



ウコンエキスを摂取することによって、多くの肝臓病患者、癌患者の命を救うことができることが、少数ではあるが日本でもヒトによって確認されている。



今、中国で第二の患者を探している。

普通に抗癌剤を打ってもいいので、医者に迷惑をかけるわけではない。抗癌剤の副作用を止めるだけです。

試してみる日本のお医者さんはいませんか。



ホテルに帰った後、R氏に気功でリュウマチも治りますかと聞いたところ、時間はかかるが効目があるでしょうとのこと。

ほとんどの病が実は自己治癒力によって回復している。最近見直されてきた統合医療の流れも自己治癒力を高める方法の模索の結果である。


ついでに、R氏に気功式マッサージをを施してもらった。気持ちがいい。S氏は10分程度のマッサージで大いびきをかいて眠ってしまったのにはびっくりした。



夕食はSK氏夫妻も交えて、羊肉と牛肉のシャブシャブを食べに行った。羊肉独特の臭みはまったくない。むしろ牛肉よりおいしい。

左からSK氏、奥さん、大城、S氏、写真を撮っているのがR氏。



先程書いた背もたれの赤いカバー



中国の酒は53度が普通で、ストレートで飲む。

小さな盃で何度も何度も乾杯をする中国式乾杯には辟易する。500mlビンを空にしてしまった。

この時、当社ウコンエキスを飲んだR氏が半時間位して言った。

感じる。このウコンは効く。

S氏の解説、R氏は人一倍感性が鋭いので感じるのだろう。





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中国の頭脳 精華大学を見る。

2007年03月07日

Posted by トントン at 18:38 Comments( 0 )
長城からの帰り道、SK氏が勤めていた精華大学を案内してもらった。一般道路から見た精華大学。



左の高層ビルが立ち並ぶ一画全てが大学だそうだ。

もっとも、学生数が25,000人もいれば教室は千は必要でしょう。
真正面がマイクロソフトの看板の出たビル、大学の構内にあるそうだ。協同研究をしているんだろうか。



精華大学の構内に車で乗り入れる。

説明を受けながら車で小一時間は周っただろうか。とにかくだだっ広い。しかし整然と落ち着いたたたずまいに包まれていた。

この時期、休みで学生がいなかった所為でもある。

学生数25,000人、内半数は大学院生、その又半数は博士課程だそうです。

大学は5年制で、理由は4年では十分ではない。中国らしい。

学生寮も完備されていて、大学生は4人一部屋、大学院生は2人一部屋、博士は一人一部屋だそうです。

今は休みなので、光熱費がもったいないと全員一箇所に集めているらしい。

とにかく一つの街だ。



いろいろ紹介されたが、多すぎて忘れた。

次に風景を羅列する。







中国革命発祥の地、孫文?だったか。ここで革命ののろしを上げたとのこと。







体育館



モクモクト煙を吐くボイラーの煙突。

市内あちこちで見た。燃料はおそらく石炭。





レンガ造りの校舎





ここで電気自動車を研究しているらしい。









日中戦争の時、中国の主要大学が田舎に逃れ、終戦後この地に戻り精華大学が設立された記念碑。S氏は一時期この左の建物に住んでいたそうだ。今は記念館。

碑には日本軍が敗走したことが書かれている。小生が手を打って喜ぶと、日本人がとSK氏が怪訝な顔をした。そこで言った。よくやった、事実を記録する事は重要なことです。SK氏納得。





精華園の門、大学創立時の教授たちの宿舎。ここに学長も住んでいた。





精華園内部、前の長屋が上の写真の門を取り巻いて四角に並んでいる。





門入口のしし。沖縄のシーサーの口は一方が開いて、他方が閉じているが、中国は左右とも開いている。沖縄のシーサーは中国から来たはずだが。





精華大学創建時の建物の碑、精華大学早期建築と読める。





旧本館、 観光地になっているようだ。





と言うわけで、精華大学を見て周った。

新旧入り混じったバイタリティーあふれた中国をリードする学園にふさわしい。







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万里の長城、壮大な公共工事の無駄?

2007年03月06日

Posted by トントン at 19:19 Comments( 0 )
8日、SK氏がホテルに迎えに来てくれた。

途中、S氏の奥さんの従妹のリンシャオさんも万里の長城は初めてだと言うので同行することになった。

長城は北京から西へ車で約一時間の距離、高速道路をぶっ飛ばす。山が近づくと、もう長城だという。途中小さな長城が右に見えた。はじめて見る長城は途中で途切れていてなんとなく小さい感じ。

はー?あれで敵が防げるのか?聞けば後で造られた第二防衛線だそうだ。

やっと長城に着いた。早速ケーブルで登頂する。



ケーブルの向こうに長城が見える。



昨夜小雪が降ったそうで一面雪の薄化粧がなんとも寒さを感じさせる。氷で足元がおぼつかない。レンガの壁を手がかりにやっとの思いで長城に着いた。





気温は零下だと思う。完全防寒でも寒い。
夜中はマイナス20度になるそうだ。





S氏の姪のリンシャオさん。

下の写真は上の写真の屋根の付いた城砦の中から外を見たもの。暗くて分かりづらいが左右に小部屋が数列並んでいて、炊事場か物置だったらしい。





長城が山の頂まで行って左に折れている。途中で途切れているのは大きな岩に見えるが、道は最初からなかったのか?





長城はくねくねして巨大な龍のようだ。





なんとも漫画チックな写真。左からSK氏、大城、S氏。





ところで、古代中国は万里の長城を造って外敵から国を守れたのか?NO!

第一線を突破され、前にも書いた第二防衛線を造り、それも突破されて、結局モンゴル帝国に征服されて、明王朝が出来た。



現代も似たようなものを造っている。人類を何度も全滅できる巨大な核、小さいがイスラエル・パレスチナの壁、東西ドイツを隔てたベルリンの壁、歴史は繰り返す。



ただ、エジプトのピラミッドもそうだが、人民に仕事を与えて不平をそらすための一種の公共工事と解釈すれば判らんでもない。

皇帝にとって公共工事による人民救済は無駄ではなかった?





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中国に乞食がいた

2007年03月05日

Posted by トントン at 15:28 Comments( 0 )
7日北京中心街のBEIJING YANSHIN HOTELに泊る。
ホテルに泊ると知り合いのSK氏夫妻が尋ねてきた。SK氏は以前沖縄で会ったことがある。そのとき以来だ。
明日は自分の車で万里の長城に行こうという。前もって行きたいと話してあったので有難くお受けする。
ホテルのすぐ前に中国人民大学がある。
夕食のついでに人民大学を見ることになり、構内を回って反対側から出ることにした。
S氏いわく、門番に呼び止められたら教授の振りをすればよいとのことで、構内に入ったが別に呼び止められることもない。
夜なのでよく分からないが並木の並んだ広大な敷地のようだ。
構内を散策している人が結構いて、夜の散歩を楽しんでいる様子。
大学前の陸橋で乞食が物乞いをしていた。
この光景は別のところでも見た。その後の天安門近く、上海でも。
現在の日本ではホームレスはいるが乞食はいない。
8年のオリンピックまでには北京からは一掃されるのだろうか。
ついでながら、すさまじい乞食を見た。
8日の万里の長城からの帰り道、交差点で小学生くらいの男の子がいきなり飛び出してきて、前の車の運転手に金をせびっている。
運転手が金を渡さないと分かると、その子は地べたに頭をこすり付けて拝んでいる。根負けした運転手が金を渡すと、その子は道端へ下がったが、そこには相棒がいて、笑いながら金を数えていた。遠くから親が指令を出しているとの解説だ。
なんともやりきれない。一歩間違えればひき殺される。
中国の車は乱暴だ。交通マナーはないに等しい。確かに信号機はあるが人も車もテンでばらばら、危なくてしょうがない。
人身事故も多発しているようだが、ひき殺しても大した罰金はかからないそうだ。なるほど。

北京には外国の外食産業の進出もあり、道すがらマクドナルドを見た。
名前の漢字は忘れたが、マクドナルドと読めた。興味津々、中を覗いた、日本とまったく同じ仕組み。当たり前か。

食事で取ったチンタオビールは弱いけどおいしい。さすがドイツ時代からの歴史がある。


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中国はのた打ちながら脱皮している巨大な龍。

2007年03月03日

Posted by トントン at 08:29 Comments( 0 )
北京には11:30に到着。
空港から高速道路で約1時間の北京のS氏の自宅へ向う。
全国の高速道路は中国政府の計画では4000kmあって、現在半分の2000kmが完成しているそうだ。
市内に近づくにつれ高層ビル群が立ち並ぶ。どれもこれも新築だ。事務所なのかマンションなのかは分からない。
傍らには旧市街の中国独特のレンガつくりの平屋がうずくまっている。半分壊されて傍らにはレンガが積んである。
中国では立ち退きの建物は自分で壊すのか、一部だとは思うが
所有者らしきおっさんがハンマーで壊しているのをみた。

S氏のマンションは旧市街地を開発したビル郡の一角にあった。
セキュリティーもしっかりしているようで、エレベーターもあり、日本のマンションと変わらない。
買った当時500万円が今では1000万円は越すそうです。



S氏は中国女性と結婚していて、長男と沖縄から連れてきた91歳になる母親と住んでいた。

小生が行くと、沖縄方言が話せる人が尋ねてきたと大そう喜んでくれた。91歳とは思えない言葉、頭の回転には脱帽するばかり。

中国語は得意ではないらしく、ワンネークトゥバンワカランフラーナトーサとぼやいていたが、嫁の書いてくれた1,2,3,4・・100を中国語で熱心に読んで勉強していたのはすごい。

小生も一緒になぞってみたが合格でした。



これがホントの沖縄おばー






今は未だヨチヨチもできない孫のシャウローン君と遊ぶのが楽しみらしく、チェチェ、チェチェと沖縄のカチャーシーを教えていた。











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中国で頑張っている日本の青年海外協力隊員に会う。

2007年03月02日

Posted by トントン at 09:14 Comments( 0 )
桂林から北京に飛ぶ。
時間が来ても飛行機が飛ばない。客席はガラガラだ。オマケにコックピットの前ではスチューワデスと制服姿の操縦士?が立ち話をしている。中国タイムかと少々うんざりしていたところ、突然日本人のジジババ集団がどかどかと乗り込んできた。

S氏がどこから来ましたかと尋ねたところ@@県のJAだそうだ。
70名の集団で、桂林の山を見てきたようだ。
70名のお得意さんなら飛行機も融通を利かしたくなるかも。

大声でしゃべるし、少なくとも上品とはいえない集団だ。

これで満席、フライトOK。


機内食を配る際、一人がわめいた。オネーチャン、ビールくれ。

スチューワデス、ビール??ビール??・・通じない。
中国人にはビールなる言葉が通じないのか、日本人の発音が悪いのか、どっちかでしょう。

S氏が中に入って通訳。機内ではビールはありませんの一言で幕。


ちょうど小生の隣に若い女性が二人乗り込んできた。
日本語でしゃべっている。聞いてみた「日本人ですか?」きょとんとして「はい」。
小生を日本語のうまい中国人と思ったようだ。

外国で日本語をしゃべる日本人に会うのは何となくうれしくなる。北京に着くまでの2時間半、楽しかったです。



話を聞くと、二人とも日本の青年海外協力隊員で、中国に来て半年、任期は後1年だそうです。

協力隊員の安い給料を3ヶ月貯めてこれから2週間中国全土を回るそうで、生き延びる知恵と体力がものをいう企画です。

何しろ飛行機代は結構高い。生活費をぎりぎり切り詰めないと出来ない相談。宿賃も結構かかる。

ちなみに給料は3万円と聞いた。

女性一人旅では野宿も出来ない。それに2月の夜は気温マイナスの世界。



一人は鳴海麻衣子さん。吉林で日本語教師をしているそうで、沖縄出身と紹介したら、沖縄の離島回りと辺土岬を見て回った

そうだ。

吉林は朝鮮族の街で、中国語、朝鮮語を話していて、それに日本語、英語と4カ国を学べるチャンスだねと聞いたら、未だそこまでは行かないと謙遜していたが、そのうちバイリンガルならぬ、フォーリンガルになるのでは。

長身の美女で、気さくで話好きな何でも見てみよう的なエネルギッシュな感じ。



あと一人は千田恭子さん。桂林で美術を教えているそうです。

これから東北に行くといっていた。

二重まぶたの何となくウチナーンチュ(沖縄人)に似たかわいい、感じのいい女性だ。控えめだが内に秘めた決意を感じる。

機内で日本人の俳優高倉健の出ているTVを見て盛んに解説している。

中国語が聞けますか聞いたら、ハイとのこと。半年で中国語が話せるんだ。



二人に日本のコンビニで買ったチョコレートをあげたら、おいしー、懐かしいーと喜んでいた。

日本の若い人たちの海外での活躍を見るとうれしくなるし勇気が出る。



お二人さん頑張って!応援しています。

いつか又お会いしましょう。



手前が鳴海さん、奥が千田さん。





日本は、アメリカの顔を立てるため自衛隊の海外派遣もいいが、物言わぬ協力隊員の民間外交にもっと予算と政策的な配慮が必要でしょう。



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