八重山高等学校附属中学校同期会を石垣で12年ぶり

2007年06月27日

Posted by トントン at 15:58 │Comments( 0 )
6月27日、28日今は幻となった八重山高等学校附属中学校2期生同期会が石垣で12年ぶりに開かれた。
本校は終戦直後の新制高校(現在の高校)がまだ発足していない混乱期に設立(1949)、その後八重山高校学校が新設されて同高校附属中学校となり、51年に卒業生261名を排出して2期性限りで廃校となった幻の中学校である。
中学入試も八重山全域の小学校、高等小学校からの選抜試験があり、附属中学に入ることは八重山ではエリートとみなされた歴史がある。
本校が存在したことを記念して「若夏の児ら・ジュニア行進曲」「八重山高等学校附属中学校この地に在りき」と刻んだ記念碑が本校のあった八重山高等学校の正面近くに県立され、その除幕式が26日執り行われた。

27日には2期生の同期会が12年ぶりにホテル日光八重山で行われた。
私は前回の同期会に出席していないので、およそ20年ぶりに皆さんと再会したことになる。
懐かしい面々はすぐに思い出せたが、なかなか思い出せなくて今もって顔と名前が一致しない方もいる。
当時校長だった石垣方言研究者の宮城信勇先生の方言スピーチや師弟の杯のやり取りなど石垣に伝わる儀式を見て八重山文化の奥深さを知る一端ともなった。
28日は八重山一週を観光バスでまわった。
バンナ岳山頂の展望台からは石垣の西側全体が見渡せる、川平を回り「ふなくやー」を横断して宮良を過ぎると石垣市内に入る。
バスガイドから聞く八重山の歴史、正木君の解説を聞くと八重山が小さい島ながら特異な歴史を持っているとことを実感する。
川平近くでは本土からの移住者の住む集落を見た。周辺の家屋とはアンバランスなしゃれた家々を見ると、沖縄本島内の米軍住宅を見るようで複雑だ。
移住者たちは地元から必ずしも歓迎されていないように見える。
彼らにとっては一時的なバカンスのための住まいであり、住民票を移さない方も多いと聞いた。そのため住民税は収めない、しかし役所は彼らのために道路・水道などのインフラを確保せざるを得ず、大変だと聞いた。
おまけに景観を破壊するような建築物が多い。何らかの規制をかける必要がありそうだ。


白保では新石垣空港の建設現場に行った。本格的な工事はまだのようだ。

ホテル舞台の祝いの幕




信勇先生の挨拶





師弟が杯を交す





記念碑前の大城





宮城校長(元)の挨拶





と真剣に聞く元生徒、真上の銅像は元早稲田大学総長で石垣出身の大浜信泉先生





石垣市をバックにバンナ岳展望台





御神崎灯台、向こうは竹富島





シーサイドホテルで昼食、有名な地中海クラブ系列のホテルらしい。













沖縄まちや



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mixiで月収93万円の不労所得を得た男 【 40歳サラリーマン 】at 2007年06月27日 12:18
 
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